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有名人スポーツワンポイント講座
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田臥 勇太選手写真
田臥 勇太選手
バスケットボール選手(リンク栃木ブレックス所属)
1980年10月5日生まれ。神奈川県横浜市出身。小学校2年生からバスケットボールを始め、バスケットボールの名門・能代工業高校(秋田県)に進学。高校時代は3年連続で高校総体、国体、全国高校選抜の3大タイトルを制し、史上初の9冠を達成。高校3年生の時には男子アジア・ジュニア選手権、男子ジュニア世界選手権にも出場。1999年、ナイキ・フープサミットに日本人として初出場する。2000年、NCAA2部のブリガムヤング大学ハワイ校に留学し、ヤングメン世界選手権にも出場。2002年に帰国後、JBLスーパーリーグ(当時)のトヨタ自動車アルバルクに入団し、チーム準優勝に貢献し新人王を受賞。2003年には再びアメリカに渡り、NBA出場を目指し、2004年NBAフェニックス・サンズと契約。開幕戦から出場し日本人初のNBAプレーヤーとなった。その後2008年に帰国、9月にリンク栃木ブレックスに入団した。

※この記事は2010年1月に取材したものです。プロフィール等は取材時点のものです。

田臥勇太選手の学生時代は・・・
3ヶ月の入院で野球ができる有り難みを知った
田臥勇太選手写真  小さい頃は水泳をやっていたのですが、小学校2年からは姉の影響もあってバスケットボールを始めたんです。一人で泳ぐ水泳と違って仲間と一緒になってやるチームスポーツの楽しさにはまってしまったんでしょうね(笑)。その時から僕の夢はプロのバスケットボール選手でした。中学に進学してからも、バスケの楽しさはどんどん広がっていき、自分ではただ夢中でプレーしていたって感じだったんですが、全国で3位になったりして高校進学時には色々な高校からスカウトしてもらえるようになっていました。その中に秋田県の能代工業高校があり、自分でも「強い高校でプレーがしたい」という思いがあったし、やはりバスケでは日本一の高校だと思っていたので入学を決めました。でも実は、バスケだけでなく秋田県での暮らしというものにも少し興味があったんです(笑)。僕自身、両親も揃って横浜出身なので、違う環境の中で暮らしてみたいという思いもありました。

 高校は下宿生活でしたが、練習以外は普通の高校生の生活より自由だったんじゃないかな。部員一人に一部屋与えられていたし、食事もちゃんと作ってくれるし、みんなで食事した後はいつもどこかの部屋に集まってわいわいやっていましたから。まるで、毎日が修学旅行みたいで楽しかったです。だから寂しいとか、つまらないと感じたこともなかったし、思う存分バスケに集中できる恵まれた環境でした。その中で常にプロの選手を目指すという目標はしっかりと決まっていたので、高校時代に3年連続で高校の3大タイトル制覇は僕の中のプロへのステップでもありました。だから大学進学の時も、アメリカという選択肢は必然だったと思います。

アメリカ留学、そして夢のNBAへの挑戦
NBAのコートに立った時の、どきどき感が忘れられない
田臥勇太選手写真  アメリカ(ハワイ)への留学を進めてくれたのは、当時、能代工業高校のバスケット部の監督をされていた加藤先生でした。先生自身も全日本でプレーされていた経験を持ち、バスケの世界でもすごく影響を受けた存在でした。留学に関しては不安もありましたが、それ以上に誰でも得られるチャンスではないと思ったし、バスケの本場を知ることはもっと大きなチャンスだと思えたことが決め手だったんです。

 そして2000年にNCAA2部のブリガムヤング大学ハワイ校に留学しましたが、まず大変だったのは生活でした。バスケの練習には問題が無かったけど、まったくの一人暮らしですから生活と練習の両立、特に英語には時間がかかりました(笑)。今まではみんなに助けてもらって恵まれていたんだなと、人のありがたみを実感しました。でも、この留学の経験があったから、その後のアメリカでの挑戦の日々も頑張れたし、自分には大きな成長期だったんだと思います。その後のアメリカ生活では、怪我で思うようにプレーできなかった時期もあり、日本へ帰りたいと思ったことも何回もあります。でも、その度に留学時代のことや、何度も挑戦してきたプロへの道、何の為にアメリカに来たのかと自分に言い聞かせるようにして頑張っていました。

 アメリカのバスケットボールを経験して感じたことは、プレースタイルはもちろん、バスケに対する選手達の情熱やプライドの違いでした。バスケの人気もすごいし、選手だけでなく観客の情熱もすごいものです。それに大学時代は学校の名を背負い、プロでは生活をかけてプレーするというプライドがすごいです。そこが日本とは一番異なるところかもしれませんね。また、ホーム&アウェイでは観客の選手に対する態度が全然違う。アウェイではヤジは飛んでくるし、日本人ゆえにからかわれることだってありました。でもそのお陰で、精神面はかなり鍛えられたと思います(笑)。

 僕にとってNBAは厳しさであり楽しさ、興奮そのものです。特に2003年の夏、本格的にNBAに挑戦を決めて始めてNBAの体育館に立った時のことは忘れられませんね。夢の世界への第一歩であり、日本人の僕が体育館に入れたことへの緊張感、ドキドキ感は今も覚えています。その思いがあるから挑戦し続けることができるんです。

田臥勇太選手からのワンポイントアドバイス
目的と意識をもって、練習しよう!
田臥勇太選手写真  僕の高校時代の練習は、とにかく走るチームだったので、練習でもひたすら走っていました。だから、走ることも基本だと思います。その上で、コートでの実践形式の練習が中心でした。特に僕は毎日のシュート練習は欠かせませんでしたが、他にもドリブル、パス、といった基本動作の練習を大事にしてください。そこで、それぞれの練習のポイントをアドバイスしましょう。
(1)ドリブル・・・まず顔をあげてコート全体を見渡せるようにしてプレーすることが大事。そしてボールを強くつく意識を持ってください。弱いドリブルはディフェンスにカットされやすくなります。
(2)パス・・・いろんなパスの方法がありますが、基本的に相手に出すのがパスだから、相手に自分の意図が伝わるように意識すること、相手のプラスになることが必要です。例えば相手がシュートを打つのであれば、打ちやすいパス。ドリブルをするのであればそれがしやすいパスが必要です。パスを出す場所や強さ、タイミングなどが重要になります。チーム練習を重ねて、意思の疎通を強化することが大事です。
(3)シュート・・・ポイントは自分の得意なスタイルを確立することです。自分が打ちやすく、入りやすいスタイルを見つけてひたすら練習するのみです。いろんなシュートが打てることも強みですが、まずは確実なひとつを見つけてください。そして「必ず決めてやる!」という強い気持ちで打つことも大事です。

 バスケットはドリブルでボールを運び、パスを出し、受けてシュートするプレーの連続です。その為にはボールを扱う上半身だけでなく、ピボットやターン、ストップといった方向転換でボールをつなぐ足腰の動きも重要になります。走るということは足腰を鍛える基本の練習になると思いますよ。そして全ての練習やプレーに『何のために』という目的と意識を持ってやることが、実践での判断力を養うことになります。
田臥勇太選手からみんなへのメッセージ
田臥勇太選手写真

スポーツ選手に一番大事な要素は、その競技に情熱を持てることだと思います。好きということも情熱のひとつです。僕は小学校の時からプロになるんだと目標を持ち、高校の頃はアメリカのNBAプレイヤーであるマジック・ジョンソンに憧れ『自分も日本一になりたい!』とコートの中を走り続けてきました。そして高校時代の目標は、海を渡ってアメリカNBAへの挑戦することになりました。バスケットボールの最高峰だけに厳しさも半端じゃない。契約・解雇の繰り返しで気が抜けない世界です。でも、その偉大なものに挑戦できる嬉しさが僕自身のモチベーションでもあります。みなさんにも自分だけの目標を持って高校時代を過ごして欲しいですね。そして何より、情熱を持って今を大事に生きてください。僕のアメリカNBAへの挑戦も、きっとまだまだ続きます!!

※この記事は2010年1月に取材したものです。プロフィール等は取材時点のものです。

渡嘉敷 来夢選手
渡嘉敷 来夢選手(バスケットボール選手)
自分らしさを楽しんで、今の時間を大事にしてほしい!
川村 卓也選手
川村 卓也選手(バスケットボール選手)
自分を貫き続けることから、個性は生まれる
竹内 公輔選手
竹内 公輔選手(バスケットボール日本代表選手)
今の時間を切磋琢磨して、有意義なものにしてほしい
五十嵐 圭選手
五十嵐 圭選手(バスケットボール日本代表)
好きという気持ちがあれば、打ち込める
森下 雄一郎選手

2007年11月

森下 雄一郎選手(プロバスケットボール選手)
まずは自分を信じて好きになって欲しい
佐古 賢一選手
佐古 賢一選手(プロバスケットボール選手)
プラス志向が、自分を高めるためにはとても大切
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